「主よ怒りたもうことなく」


作曲技法:

この曲は、流れるような柔らかい旋律線とそれによって織りなす 息の長い洗練されたポリフォニー、また長三和音を基本とした豊かな響きを 持つホモフォニー部分などを持っており、バードの特質が 十分に活かされた作品といっていいだろう。

ポリフォニー部分に関するこの曲の特徴は、模倣されるモチーフの短さと それと対照的な展開部分の長さである。[譜例1]に示したように模倣される モチーフ(ここでは``desolata est'')そのものは大変短いのであるが、 その模倣は何重にも折り重なり、徐々に積み重なって全体でクライマックスを 構成する。こうしたポリフォニーの部分では、その練れた対位法処理と 素材となる旋律の柔らかさによって、まるで織物でも見ているかのような 息の長いポリフォニー音楽が展開されていく。

そしてその到達する先には、長三和音によるホモフォニーの部分が 待っており[譜例2]、ポリフォニーの部分との著しい対比を見せている。 その長三和音も明るさや華やかしさよりもむしろ、優しさや暖かさを 感じさせる響きを聞かせてくれる。

しかし、その長三和音も決して幸福を表すわけではなく、例えば [譜例2]では美しいF-durの響きのなかで、シオン滅亡の嘆きが歌われている。 ここに他国には見られないイギリス独特の表現がある。深い悲しみを たたえた長三和音の響き。その逆説的な表現の中で、イギリス人そして バードは美しくも悲しい嘆きの世界を見せてくれるのである。

推奨音律 中全音律

ルネサンス期のイギリスは、大陸よりも三和音を好む傾向があり、 この曲も終始厚い長三和音に包まれている。 この曲を演奏するにあたって、この三度を純正にとるのは 必須であると思われるので、中全音律が適当と考える。

またバードは、当時オルガニストとしても有名な音楽家であったので、 その音律は当時のオルガンの音律としてスタンダードであった 中全音律を念頭に作曲を行なっていたと考えるのが自然であろう。

音楽修辞学:

推奨される歴史的発音: 16世紀以降のイギリス ラテン語

彼の20才の頃の作品ということで、16世紀以降のイギリス ラテンであることは 間違いない。ただ、イギリス発音の問題の一つは、固有名詞などのスペルが 一定していないことである。この曲に出てくる Jerusalem もその 1つで Hierusalem と書かれたりもする。実際、これは I と J の発音に区別が なかった時代からの借用を意味しており、バードがこの Jを dZ と 発音したかについては議論の余地があるが、ここでは Hi も dZ と 発音したとする意見に賛同し dZ と結論づけることにする。

(新郷)


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