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近現代音楽概観3 〜両大戦間の音楽

最終更新日: 2002年3月21日
[近現代]->[音楽概観1]->[音楽概観2]->[音楽概観3]

1. 新古典主義

ヨーロッパに第一次世界大戦が起こると、それまでの音楽活動は いったん跡絶え、戦後になって活動が再開されたときには、 戦争による疲弊のためか、戦前の音楽の行き過ぎに対する反動が起こった。 そのため形式や調性の整った音楽が好まれるようになり、 ソナタや組曲などの18世紀頃の音楽形式を復興し、 調性感の明確な音楽を展開する作風がフランスから生まれた。 この作風を新古典主義と呼ぶ。

新古典主義はまず当時フランスを中心に活動していたストラヴィンスキー の作風変換から始まり、やがてオネゲル、ミヨー、プーランクらの フランス6人組と呼ばれる作曲家たちによる活動へと引き継がれた。 彼らは反ロマン主義の理念に基づき、感情と理性の均衡を唱え、 調性の明確化と半音階法からの決別を目指したといわれる。 この理念に最も忠実だったのはプーランクであり、 彼は調性的で形式の整った音楽の中にパリっ子らしい 小粋なセンスの光る作品を残している。  

2. 12音主義

一方、ドイツロマン派の流れを汲んだ楽派は、一次大戦前には ロマン派の語法を極限まで押し進めた表現主義と呼ばれる音楽を 展開していたが、戦後にはその混沌の中から新たな秩序を見つけ、 彼らにふさわしい音楽語法を確立した。12音技法がそれである。

12音技法の作曲法は、まず1オクターブ中の12個の音を一度ずつ用いて 音列を作り、それを楽曲の基礎としている。曲は旋律的にも 和声的にもこの音列に基づいて作曲されるが、その際には基本となる 音列の移置、反行、逆行を用いることが出来るとされている。 この技法を確立することで、シェーンベルクらは無調的な音楽の中にも ある一定の秩序を与えることに成功した。その意味で12音技法は、 両大戦間の新古典的な潮流にマッチしていると見ることも出来る。

12音技法は一見して機械的な印象を与えることもあり、その意味を疑問視する 声もあるが、近現代音楽に対してこの技法の果たした役割は非常に大きい。 12音技法はシェーンベルクの弟子であるウェーベルンやベルクに引き継がれて 新ウィーン楽派と呼ばれる楽派を形成し、 やがて第二次大戦後にはその発展形としてのトータル・セリアリズムが 現代音楽の主な楽派として大きな役割を果たすことになる。 なお原始主義、新古典主義の中心であったストラヴィンスキーも 第二次大戦後には12音主義に作風を転換していることも見逃せない事実といえる。  

3. 民族的新古典主義

この名称は一般的なものではなく、日本の作曲家柴田南雄が バルトーク個人の作曲技法に対して仮に用いた用語である。 しかし筆者は、この名称をバルトークの作曲技法の特徴を的確に捕えた 用語であると考え、本資料室でも採用することとした。

戦前、原始主義の音楽が発展した頃には西洋音楽に民族音楽の要素を 取り入れる動きが盛んだったが、その旗頭であるストラヴィンスキーが 新古典主義に作風を転換したところから、民族的要素を取り入れた音楽は急速に すたれるものとなった。しかしその中にあってハンガリーの作曲家バルトークは ただ一人民族音楽の研究を進め、ついには民族的新古典主義ともいうべき 客観的な構成を持つ作風を完成させている。

そこでは黄金分割、フィボナッチ数列の曲構造への応用や、 倍音列音階と呼ばれる独自の音階の使用、和声の機能の拡大など 個人的なルールともいえる語法を用いて曲に客観性を与えているが、 その作品は民族音楽的な音響が色濃く感じられるものとなっている。 これは民族音楽の研究からその中に潜む法則を抽出し、 彼の音楽語法へと昇華させた賜物であろう。同時代の新古典主義や 12音主義による音楽に対しても決してひけをとらない完成度を持つ彼の音楽は、 個人の作風といっても十分に一つの楽派として分類する価値のあるものと考える。  

(宮内)


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