M.A.B. Soloists WWW Site
音楽資料室中世ルネサンスバロック古典・ロマン派近現代解説項目

ルネサンス

時代背景
ルネサンス音楽概観
作曲者とその作品
Dufay
  生涯
  音楽史上の位置
  Nuper rosarum flores
Ockeghem
  生涯
  音楽史上の位置
  Missa Pro Defunctis (Requiem)
Josquin des Prez
  生涯
  音楽史上の位置
  La deploration sur la mort de Johannes Ockeghem
  Missa Pange Lingua
Palestrina
  生涯
  音楽史上の位置
  Dum Complerentur
Lassus
  生涯
  音楽史上の位置
  Pater Abraham
Byrd
  生涯
  音楽史上の位置
  Ne irascaris Domine
Victoria
  生涯
  音楽史上の位置
  O magnum mysterium

ルネサンス音楽概観2 〜各国での発展

最終更新日: 2002年3月23日
[ルネサンス]->[音楽概観1]->[音楽概観2]

ルネサンス後期はフランドル楽派によって全ヨーロッパに浸透したポリフォニーの技法が各国ごとに花開いた時代である。ここでは、イタリア、スペイン、イギリスの各国についてその発展の様子を順に見ていくことにする。

1. イタリア

16世紀のイタリアは、音楽的に二つの相反する側面を持ち合わせていた。一つは劇的な表現を好む気質であり、もう一つはローマ・カトリックの本拠地としての厳格な側面である。前者については、フランドル人のヴィラールトやデ・ローレが始めた複合唱の書法や半音階を用いた書法をガブリエリ、ジェズアルドといったイタリア人作曲家が受け継ぐことで、イタリアらしい劇的な表現が発達していく。

後者に関してはいわゆる反宗教改革の動きに結び付く。宗教改革の動きに対抗するためにカトリック側が開いたトレントの公会議で、それまでの宗教曲が技巧的すぎるということで、もっと歌詞の聞き取りやすい音楽を作るべきであるということが決定された。パレストリーナはまさにこれに答えるべく登場した作曲家であり、和声的にも充実した響きの中で明確で秩序だったポリフォニーが展開する書法を確立する。

こうした二つの面を持ちながら、イタリアという国は徐々に音楽の中心地としての立場を築いていく。そしてこの国こそが次の時代の音楽を担うことになるのである。

2. スペイン

新大陸発見以後のスペインはその後の植民地政策によって空前の発展を遂げていた。特に国王フェリペ2世の時代にはその国力は頂点に達することになる。カトリックの国であるスペインは国力の充実と共にイタリアとの結び付きをさらに深めていき、国内の若手音楽家に奨学金を与えてローマに留学させるということを行なった。スペイン・ルネサンス音楽最大の巨匠ビクトリアもこうしてローマに赴いたわけであり、こうした活動も実を結んでかモラーレス、ゲレーロ、ビクトリアといった優れた音楽家たちを輩出していく。

またその植民地活動に伴ってこの国の音楽は、遠く海を渡ってメキシコや南米などの新大陸にまで伝わっていき、日本もまたその音楽と接触をもったという。

3. イギリス

ルネサンス以前の時代にはデュファイにも影響を与えたこの国の音楽は、15世紀の後半には大陸に対して大きく遅れをとっていた。これはいわゆるバラ戦争(1455 〜85)という内乱によって国家が疲弊してしまったことと、大陸との交流が断絶してしまったことにその原因がある。

16世紀に入ると国力も回復し始めるがここでまた大きな事件が起こる。ヘンリー8世が離婚問題をめぐってローマ教皇と対立し、英国国教会を設立してローマ・カトリックから独立してしまうのである。さらに国王が代わる度にイギリスは国教会とカトリックの間で揺れ動き、英語とラテン語による宗教曲が共に作曲されることになる。これは二つの異なったタイプの宗教曲が残されるという豊かさも生んだが、それ以上に音楽の健全な発展を妨げてしまった感のほうが強い。

エリザベス1世の治世になって国教会制度が確立しつつもカトリックも容認されるという時代を向かえ、タリス、バードらが登場するに及んで、ようやくイギリスの音楽は大陸のレベルに追いつくことが出来た。この国の音楽は以後ダウランド、ギボンズらの登場によって独自の繁栄を見せることになる。

(宮内)


Copyright © 2002 M.A.B. Soloists, All Rights Reserved.